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神戸でのスーパースター

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“御崎”“ユニバー”“ウイング”。町と地域のメッカは神戸と世界を結ぶ
神戸でのスーパースター
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ヨハン・クライフが来日。
(写真 : © PHOTO KISHIMOTO)



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1979 ワールドユース パラグアイ
(写真 : © PHOTO KISHIMOTO)

 神戸という町の明るさのためか、外国人に馴染みやすい土地柄のせいなのか――はともかく、御崎やユニバー、ウイングスタジアムでのプレーでも記者会見での対話でも、スターたちはごく自然にスーパーなプレーを見せ、親しげに語りながら心に響く言葉を残していった。
「ボールを受けたとき、最低3本のパスコースを持っているのがよいプレーヤー」と言ったのはヨハン・クライフ(74年オランダ代表キャプテン、ワシントン・ディプロマッツ)だが、記者会見とは別に、私との単独インタビューで「どれくらい早く走るかということよりも、いつ走るかが、サッカーでは重要だ」とも言った。
 ボルドーのアラン・ジレス(フランス代表、84年EURO優勝)は、「体を小さいことをハンディと思ったことはない。大きいのも、小さいのも、その人の特徴なのだ」。79年ワールドユースでパラグアイの英雄となったロメロは、最終戦でスタンドの喝采にこたえて涙を流しながら別れを告げた。
 また、モザンビークの黒ヒョウと呼ばれたエウゼビオは、押さえのきいたシュートの披露はもちろん、ピッチを真横にドリブルし、前に向かって進むものと思っていたファンを驚かせ、サッカーには発想の自由のあることを示した。
 ヴィッセル神戸の初期にやってきた超大物ミカエル・ラウドルップ(デンマーク代表)は、「神戸の生活環境も練習設備も素晴らしい。こんど生まれ変わるなら神戸でサッカーをしたい」とまで言った。
 彼の影響で、永島昭浩がプレーヤーの晩年にワンランク上のプレーをしたのは、知る人ぞ知る。神戸での寛(くつろ)ぎが良かったのか、彼は98年のフランスワールドカップで、12年間の大会出場で最高ともいえるプレーを演じた。
 いまをときめくFIFA(国際サッカー連盟)のヨーゼフ・ブラッター会長は、79年のワールドユース大会のときに、FIFAの職員として仕事をしたのが神戸だった。
「若い私にはとても貴重で、楽しい体験だった」。世界のサッカー界の総帥にも、神戸は懐かしい土地なのだ。