
1979 ワールドユース パラグアイ×カナダ
先頭のパラグアイ主将がロメロ
(写真 : © PHOTO KISHIMOTO)
御崎スタジアムは、屋根付きのウイングスタジアム(現・ホームズスタジアム神戸)となるまでの30余年間に、60に及ぶ国際イベントをこなした。
79年のFIFAワールドユース大会は1次リーグの会場として、パラグアイ、ポルトガル、韓国、カナダの若い選手たちを迎えただけでなく、準々決勝、準決勝でソ連代表が勝ち上がるのも見守った。
プロのまだ生まれていない日本のサッカー人から見ればはるかに遠い存在であった、世界に名だたるトップ・クラブやスーパースターもプレーした。
1976 NYコスモス×日本選抜
前列中央にペレと釜本邦茂
(写真 : © PHOTO KISHIMOTO)
66年ワールドカップの得点王エウゼビオ(ポルトガル)は、彼のチーム、ベンフィカ・リスボンとともに、アラン・ギルジーン、マーチン・チバースは70年代イングランド最高峰のトットナム・ホットスパーズの力強さと技巧の高さを見せた。最年少だったスティーブ・ペリマンが後にプロ化した日本の清水エスパルスの監督になったが……。
キリンカップあるいはゼロックス・スーパーカップといった企業のスポンサードによる国際大会シリーズでも、ここのピッチと照明は好評だった。
ベッケンバウアーらのスター軍団の来日。
(写真 : © PHOTO KISHIMOTO)
FCサントスとペレの現役のプレーを神戸のファンは自分の目で確かめ、フランツ・ベッケンバウアーやヨハン・クライフをそれぞれNYコスモス、ワシントン・ディプロマッツとともに眺めることができた。
トラックのない間近なスタンドで大スターを親近感を持って見られるのが何よりだった。ワールドユースでナマで見られなかったディエゴ・マラドーナもボカ・ジュニアーズでやってきて、神戸のファンの前でのファインゴールを演じた。
シリアやセネガルといった、四半世紀前には珍しい国の代表チームが神戸で試合をしたのも、御崎のおかげだった。
1981年 神戸で釜本が200ゴールを達成!
(写真 : © PHOTO KISHIMOTO)
アマチュア時代の日本のトップリーグ、日本サッカーリーグでは、関西の雄ヤンマー・ディーゼル(現・セレッソ大阪)の第2のホームグラウンドとして親しまれていた。不世出のストライカー・釜本邦茂のリーグ戦200ゴールは、1981年11月1日、ここ御崎での対本田技研戦で記録された。
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